佐賀県の県民性とは?
佐賀県の県民性を一言で表すと「堅物」だといわれています。
実はその県民性を形成した要因は、江戸時代にあるようです。
現在の佐賀県は江戸時代には鍋島藩と呼ばれており、徳川初期から幕末までのおよそ250年以上もの間、藩主の鍋島家が統治しており、「葉隠(はがくれ)」と呼ばれる武士道の教えが浸透していたそうです。
この葉隠武士道は、強い心を持つことを唱える武士道論や、藩主に仕える者の心構え、藩主への忠誠心を提唱しているのが特徴で、その名残が現代にも残っています。
そのため、佐賀県の人々は自らの個性を自由に輝かせるというよりも、保守的で、組織やチームに属し、コツコツと地道な努力を続けることを得意としているようです。
また、「佐賀人が通った後には草も生えない」という言葉がありますが、これは鍋島藩の武士の勤勉で倹約な様子を皮肉ったもなのだとか。
この言葉は、現在の佐賀県の県民性の一つでもあり、ムダ遣いを嫌う姿に通ずるところがあります。
ちなみに、佐賀県を佐賀市を中心とする南部と唐津市を中心とする北部の地域に分けてみると、また違った県民性があることがわかります。
南部は前述の鍋島藩の影響を強く受けていたこともあり、保守的で頑固、几帳面な人が多い印象がありますが、北部は、隣県の福岡県の影響を受け、柔軟な思考と陽気さを持ち合わせている人が目立ちます。
佐賀県全体の県民性としては堅物なところは共通していますが、地域によって多少の違いはあるようです。